マインドブロックからの脱却 「やめたかったらやめてもいい」 そうだとは知らなかった・・・

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何かやると決めたら最後までやり通すこと。
途中でやめるのはいけないこと。
逃げるな!やめるな!責任を持て!

ねばとべき
ねばねば星人、べきべき星人の呪い

べき、ねばが作り上げられていく

私が幼い頃から母は軟式テニスをしていました。
全国大会で優勝するような人でした。
広島から兵庫へ引っ越し、更に大阪へと引っ越す中で、代表の都道府県を変えながら
どこへ行ってもその世界では有名人だったようです。

幼い私と姉はよくついて行ってました。
練習やら大会やらに。

早起きして母について行かされていた私は、母と一緒に行動するがために、
母が父から言われる言葉をそのまま耳にしていました。

「優勝しなかったら帰ってくるな」

父の下手くそな応援メッセージだったとは思うのですが、母はプレッシャーだったと思います。

家のことをそっちのけで朝早くから出ていくこと、土日も大会があれば家を空けること。
でも出発時間よりかなり早く起きて、朝か昼か夜かわかりませんが、何かしらご飯の準備をしてから大会に向かっていたんだと思います。
家族への後ろめたさもあったでしょう。

自分の好きなことを、専業主婦でやらせてもらっているという
何か悪いなぁ・・・というような重たいものが肩に乗っていたでしょう。
引け目に感じていたからか、母は父に逆らうようなことは一度もなかった。

「優勝しなかったら帰ってくるな!」
その言葉は私にもしっかりと刷り込まれていくのです。

「お母さん、優勝できなかったから帰れない?お父さんに怒られる?」
幼い私は、本気で問うていました。

「そうだね、お父さんに怒られるね。」

こうして、結果が何よりも大切であることが、私の中にインストールされて行ったのでした。

過程ではなく結果なのか

結果が大切なんだというマインドブロックは、少しずつ私を蝕んでいきました。
もちろん、両親は無意識ですし、私自身も無意識の領域です。

しかし、確実に、着々と。

「マラソン大会で1位になったら、一万円あげる」
父から出されたものでした。

小学校一年生で初めてのマラソン大会。1kmを走ります。
その条件で姉は頑張りましたが、惜しくも1位にはなれなかった。

それから3年後、次は私の番でした。
運が良かったのでしょう。私は1位で帰ってきました。
見事!1万円を手にしたのです。

しかしこれがまた、私に大きなマインドブロックを作り上げたのです。
結果良ければ全てよし。
たまたまなんです、1位だったのは。

翌年から、3位、4位、7位と・・・
順位を下げて行った私。
自分が嫌になっていく。あぁ、私はだめなんだと、落ち込んでいくのです。
マラソン大会に向けて体育もマラソンだったし、それなりに頑張っていたと思いますが
結果が伴わないと、ダメですからね。

でも、1万円なんてどうでも良かった。頑張ったことを、見て欲しかった。
それが小学生の私からのメッセージ。

途中で辞めるなんてあり得ない

結果が大切なんだから、途中で投げ出すなんてあり得ないこと。やめてはいけない。カッコ悪いこと、情けないこと。自分で決めたことには責任を持たなくてはならない。

私は自分に呪いをかけ続けました。
中学に入り
「お前のことは聞いている。お前のラケットはすでに買って用意してある。だからバドミントン部に入部しろ」と、当時のバドミントン部の顧問に言われました。

バドミントンは好きだったし、楽しかったし、そんなワクワクで入部したのですが
思い描いていた楽しいクラブ活動の時間とはかけ離れたものでした。

卒業生である高校生が練習に来ていたり、3年生の先輩と同じ練習をさせられたり、男子としか練習させてもらえなかったり・・・

ついには、サントリーの実業団のクラブに練習に連れて行かれたり、ここ大阪市大正区にあったというバドミントンの施設にことあるごとに連れて行かれ、帰宅は21時過ぎ。
(大正からは離れたところに住んでいたので)よく泣きながら家に帰っていました。
同期の仲間とクラブ活動を楽しむ時間なんてほとんどなかった。

そんな中、顧問からは「おまえ50kg以上あるやろ。重すぎて車が動かへんわ。」と言われたり、腕組みをしてずっとウエイトトレーニングをする姿を監視されていたり、同学年の男子から、脚が太いとからかわれたり・・・
思春期の多感な少女には過酷な日々でした。

そこから摂食障害になり、12kg一気に体重が減り、生理が止まり、心も身体もボロボロになっていきました。

何もかも、全部やめたかった。
バドミントンもやめたかった。普通にご飯も食べたかった。学校にも行きたくなかった。

でも、やめちゃいけない!!って呪いがかかってるから・・・
全部やめられなかった。

大丈夫、やめていいんだよ

時が過ぎると、部活は引退できました。
クラブ活動がなくなったら、学校へ行くのも辛くないし。
生理が3ヶ月止まった時点で、母に病院に連れられて、ホルモン注射を打ってもらって
「体重を戻さないと生理は戻ってこないよ」とお医者さんに言われました。

でも、ホッとした。体重、戻していいんだって。

少しずつ少女から大人へと成長していく中で、それでも無意識の領域から囁かれる呪いに苦しむこともありました。

でもだんだん、苦しみが減っていったような気がします。
それが実は恐ろしいことで・・・。

私にかかった呪いが、もう呪いではなく、
私の常識へと、顔を変えてしまったのでした。

無意識に常識を選び、それが私に「最後までやり切る、それが責任感」という美学を与えたのです。

一度「やります」と言ったことは、
やっぱり無理でした、できませんでした。と言ってはいけない。
そう思い込んでいるので、それが美学なので
自分はもちろん、途中でやめる人が許せない。

こうして無意識に、自分を生きにくくしていくのです。
でも、美学だと思っている。だからこそ危険なのです。

そんな中、やめたいなぁって思う出来事に遭遇します。
本当はやめたいんだけどなぁ。でも、やめられないよなぁ、やめたいって言ったら怒られるんだろうな。引き止められて理由を聞かれて、結局やめられないんだろうな。嫌だなぁ・・・。

そう悩みながら過ごしていました。

ある日、そのことを友人に話した時でした。
「前々から感じていたけど、それ、やめた方がいいよ!大丈夫だよ、やめたかったらやめていいの。」

へ?やめて、いいの?やめられるの?


あまりのことに拍子抜けでした。
あれ?そうなの?え?知らなかっただけなの?やめて大丈夫なもんなの?

「大丈夫、やめたかったらやめていいの」

世界は思っているより広かった

私が常識だと信じ込んでいたことが、違う視点から見るとヘンな事かもしれないし
そんなことで悩んでたの?って笑っちゃうくらいの事かもしれない。

至って本人は真剣で、本気で悩んでいることでも、
誰かから見ると、そんなに大したことでもなかったりする。

俯瞰すること

自分を3mくらい上から見てるような感覚で観察してみる。
今悩んでることを、友だちが相談してきたとしたら何て答えるかな?って考えてみる。

よく聞く言葉だったけど、やってなかったなと思う。

日本の常識は、世界ではヘンなこと。かもしれない。

家の中でなんで靴履いてるのー!!って4歳は何度説明しても言う。
アメリカはそういうもんやねん!って7歳は何度も説明する。

そういうことだ。


かかった呪いは、かけた呪いは、必ず解ける。
解く呪文は必ずある。

だから大丈夫。やめたかったら、やめていい。

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